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ただの城好きの戯言日記
 ■■■■■  晴れの国岡山で、のんびり城跡探索しませんか  ■■■■■
  ■ 岡山県内の城跡等を中心としたネタのブログサイトです。
  □ 寝ても起きてもお城好きの皆さん、どうぞよろしくお願い致します。
  ■ ただし、かなりノンビリ屋なので、更新確率はかなり低です。
  □ 実体はただのメモ書きかもしれませんね ( ^_^ )。
  
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まだ少し先の話になりますが、笠岡市大島中の青佐山城跡で登山会が催されるようです。
笠岡市の生涯学習課の主催で「たくましい笠岡っ子」イベントの一環ですので、
対象者は小学校3年生~6年生に限定されています。残念ながら大人の我々は参加できません。

題目「青佐山城を攻略せよ~細川氏からの挑戦状~
開催日時:平成251130日(土)   時~12

細川氏からの挑戦状・・・・ですか・・・(^^。
なんだか、あまり手強そうに感じないのは、仕方の無いことなのでしょうか。

興味がある方は、笠岡市生涯学習課(0865-69-2153)様まで、お問合せを。
申込期限が、日(木)必着とのことですので、
申し込みについては、あまり猶予がありません。ご注意を。

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高梁歴史いろは塾備中松山城(大松山)

3月9日(土)に、高梁市内山下の備中松山城跡にて、大松山城跡を中心とした登山会が行われました。
これは、高梁市歴史まちづくり課主催の「高梁歴史いろは塾」の講座「備中松山城の中世を歩く」として行われたものです。
当日は、約30名のお城好きの皆さんが高梁市役所前に集まった上で、市教育委員会の三浦さんの先導の元、天守閣がある備中松山城(小松山)の北側の山(大松山)へと、中世遺構の散策を目的に訪れました。
天守閣裏の土橋を渡って、番所跡の石垣や井戸跡を見るところからスタートし、北へと登って相畑城戸跡へ、明治時代までここに人が家を建てて住んでいたと聞いてびっくり。
その他にも、三浦さんから歴史的な経緯と自説を交えての詳しい説明を受けながら各所を巡ったので、大変勉強になりました。(^^)
その後は更に北へと進み、大松山城跡へと行き、曲輪や井戸跡などを自由に散策しました。
以前に来た時には、この大松山城跡は草が沢山茂っていたのですが、近年整備されたとのことで、綺麗になっていました。
最後は、ここから裏手に出て、番所と切り通しを見た後は、かなりきつい登りを経て伐採地を通って駐車場へ。流石に疲れましたのでバスに足早に乗り込みました。
この最後の帰りの行程が一番辛かったですね(苦笑)。。。
しかし、高齢の参加者の方も多かったのに皆さん元気なことです。
(松山城が初めての方は一人もいなかったので、皆さん登り慣れていらっしゃるのではないかと思います。)

ちなみに、城跡へ登る前には、個人的に御根小屋跡(現在は高梁高校敷地)も訪れましたので、まさに松山城デーな一日でした。

来年も「高梁歴史いろは塾」として計画される予定とのことでしたので、小松山の天守閣しか見たことが無いと云う方など、是非ご参加ください。



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医王山城登山会

11月25日(日)に、津山市吉見の医王山城跡にて、「医王山城跡保存会」主催の登山会が行われました。
当日は二班に分かれて集合し、第一班には城攻め巧者の面々が集結して、仙々城を手始めに、烏ヶ仙城などを縦走して医王山城まで至るコースに挑み、第二班は、家族連れ主体で、のんびりと途次を散策しながら医王山城跡へと登りました。
医王山城一の曲輪では茶席が設けられ、午後二時から第一斑と合流して記念撮影という予定でしたが、第一班の行軍は流石に苦戦されたようで、合流は遅れることになりましたので、合流までの間、第二班の一行は、医王山城の二及び三の曲輪から、畝状竪堀群までの散策を楽しんで時を過ごすことが出来ました。
汗だくで戻ってこられた第一斑の皆さん、お疲れ様でした。

医王山城跡は保存会の皆さんの暖かい手により、登山道などが整備されておりますので、子供さんを含め家族連れで登ることが出来るようになっております。
保存会の登山イベントなども定期的に行われておりますので、みなさん是非、お越し下さい。


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